
エドヴァルド・ムンク《太陽》1911年
大学に拒まれたムンクの《太陽》は、なぜ今も大学の正面にあるのか
巨大な太陽から、黄色、橙、青、緑の光が画面いっぱいに広がる。
エドヴァルド・ムンクの《太陽》です。
高さ4.55メートル、幅7.8メートル。
けれど、これは最初から美術館に飾るために描かれた作品ではありません。
ムンクがこの巨大な絵を描いた場所は、オスロ大学の式典ホール「アウラ」。
そして意外なことに、大学は当初、ムンクの案を採用しませんでした。
それでもムンクは描くことをやめません。作品を一般に公開し、人々に直接見てもらいます。
そして1914年、大学はついにムンクへ正式に発注。1916年、《太陽》を中心とする11点の絵が講堂に取り付けられました。
落選したはずの絵は、それから100年以上経った現在も、ムンクが掛けようとしたその場所にあります。

そもそも、なぜ大学にこんな巨大な絵があるのか
話は、オスロ大学創立100周年から始まります。
1911年。大学では100周年に合わせて、新しい式典ホール「アウラ」が建てられることになりました。その壁を飾る作品が必要になります。ムンクにとっては、公共空間を対象とした初めての大規模な仕事でした。
大学が望んでいたのは、新古典主義の建物に合う、ギリシャ風の伝統的な装飾。ところが、招かれた画家たちは注文どおりには描きませんでした。より新しい表現を持ち込みます。
伝統的な大学建築と、20世紀の新しい美術。両者は衝突しました。
- 大学創立100周年に向け新しい式典ホール「アウラ」の装飾を計画
- 大学側新古典主義の建築に対し、建築家側では「できる限りギリシャ風に」という構想
- 画家たちより新しい表現を提案
- 1909年アウラ装飾のコンペが始まる
- 1910年複数の画家の案を審査
- ムンクとエマヌエル・ヴィーゲランが最終段階へ
- 1911年2人が実物大の作品を制作し、審査へ。どちらの案も採用されない
実際の講堂に作品を仮掛けして比較するところまで進みました。
ヴィーゲランは、古典的な室内装飾にある程度合わせた作品を提示します。一方のムンクは、自分の表現を変えませんでした。それでも審査により、最終的には両者とも採用されませんでした。
そして大学創立100周年。新しく完成したアウラに、ムンクの絵はありませんでした。巨大な壁を覆ったのは、黄色いシルクの壁紙でした。

ムンクが描いた《太陽》を見てみましょう。
中央やや下。白く光る太陽から、黄色、橙、青、緑の光条が放射状に広がっています。
下には青紫色の岩と入り江。その中央には緑の草地。
そして光は、画面の端まで伸びていきます。
《太陽》は、一枚だけでは完成しない

7.8メートルの画面を、光が横切る
《太陽》は、油彩・カンヴァス。高さ455cm、幅780cmあります。横幅は約7.8メートル。中央の白い太陽から伸びた光は、この巨大な画面いっぱいに広がっています。しかし、実際の講堂では光の広がりは、この一枚の端だけでは終わりません。

光は、隣の絵へ続いていく
《太陽》は講堂の最も奥の壁、その中心に置かれています。左右には別のキャンバスが続きます。そこには、光へ向かって手を伸ばす裸の男女。《太陽》から放射された光が、左右の作品へ広がっていくように配置されています。つまり《太陽》は、単独で完結する一枚としてだけでなく、講堂全体を構成する11点の中心として置かれた作品です。

この太陽には、実際に見た景色がある
描かれているのは、場所のない想像上の日の出ではありません。太陽が昇るのは、ノルウェー南部クラーゲロー沖の岩礁の上。オスロ大学とムンク美術館が紹介するムンク自身の言葉があります。
「崖の上に太陽が昇るのを見た――私は太陽を描いた。」
ムンクはアウラの仕事をしていた時期、クラーゲローに居を構えていました。そこで構想を何百通りも素描や下絵にしています。
制作のスケール
《太陽》だけでも7.8メートル。アウラのための作品には、最大50平方メートルにもなる画面がありました。普通のアトリエで簡単に扱える大きさではありません。
そこでムンクは、自分の土地に屋外のアトリエまで建てました。残されたアウラ関連の習作は数百点。しかも《太陽》には、ほぼ同じ大きさの原寸大の油彩下絵も現存しています。
ムンク美術館が所蔵するその下絵は、447×775cm。本番の《太陽》455×780cmと、ほぼ同じ巨大さです。


落選したムンクは、審査員ではなく「人々」に見せた

大学が決めないなら、外で見せる
講堂が装飾なしで開館しても、ムンクはこの仕事を諦めませんでした。支援者の協力を得て作品を一般に公開します。審査する委員会だけではなく、人々自身に作品を見てもらうためでした。その反応は、大学側とは違いました。人々はムンクの作品を支持します。1912年にアウラで作品が公開されると、多くの人が訪れました。公開から約1か月で、その数はおよそ9,000人。さらに1913年、ドイツで展示されたアウラ装飾案も大きな反響を呼びます。

1914年、大学がムンクに発注
世論の支持を背に、状況が動きます。1914年。委員会はついに、ムンクへアウラ装飾を正式に発注しました。最初の案が退けられてから、数年が経っていました。

1916年、11枚が壁に掛かった
1916年。《太陽》を含む11点の油彩画が、アウラの壁に取り付けられました。それ以来、作品はこの講堂にあります。現在も、《太陽》はムンクがこの作品を掛けようと考えた場所で見ることができます。オスロ大学によれば、この11点は「本来の文脈のまま保存された唯一の表現主義的モニュメンタル絵画」です。
11作品について
アウラを構成する作品は、全部で11点。《太陽》だけではありません。
- 太陽
- 歴史
- アルマ・マーテル
- 化学
- 新しい光線
- 収穫する女たち
- 泉
- 光の氾濫に目覚める男たち
- 光の氾濫の精霊たち
- 太陽に向かう女たち
- 太陽に向かう男たち
すべて、カンヴァスに描かれた油彩です。壁そのものに描いたフレスコ画ではありません。そしてムンク自身は、この11点をばらばらの作品として考えていたわけではありませんでした。
彼はアウラ装飾について、こう述べています。
「装飾が閉じた独立した観念の世界をなし、その絵としての表現が、同時にノルウェー固有のものであり、かつ人類に共通のものであることを、私は望んだ。」
なぜ、大学の中心に「太陽」なのか
ムンク自身が残した言葉から確実に分かるのは、彼が実際にクラーゲローで日の出を見て、《太陽》を描いたということ。
そのうえでオスロ大学は、この作品をアウラ装飾の中心であり、大学の根本的なテーマのひとつ「啓蒙(enlightenment)」を、荘厳な日の出として表したものだと説明しています。
知ること。学ぶこと。光が広がること。
その解釈で講堂を見渡すと、最も奥にある《太陽》から左右の作品へ光が伸びていく配置にも、別の見え方が生まれます。
本物の《太陽》は、
高さ4.55メートル、幅7.8メートル。
しかも本来は、一枚だけを見るための作品ではありません。11点が大学の講堂を取り囲み、その中心から光を広げるために描かれました。
その巨大な画面を、そのまま家へ持ってくることはできません。けれど、一枚の作品として切り出して見ると、別の面白さがあります。
100年以上前、大学の壁をめぐって争われた7.8メートルの太陽を、部屋の壁へ。
artgraph.では、ご注文ごとに1枚ずつプリントします。
¥1,900 から(A5・フレームなし・税込)
本物は、横幅7.8メートル
原画の大きさは、455 × 780cm。横幅7.8メートル。一般的な住宅では、原寸で飾ること自体が難しい大きさです。artgraph.では、この巨大な作品を、部屋に合わせたサイズで見ることができます。
置いてみる
どのくらいの大きさになるか
サイズと額装を変えると、見え方がその場で変わります。お部屋の写真に合わせて確かめてください。

壁の主役にするなら B2 以上、机や棚の上に置くなら A4〜A3 が扱いやすい寸法です。数字だけではつかみにくいので、スマートフォンのカメラで原寸を自分の壁に置いて確かめられます。
受け取るもの
7.8メートルの《太陽》を、一枚のプリントへ

用紙
EPSON のアート紙・190g/m²。表面がマットで、光を反射しにくい紙です。
印刷
ジークレープリント。在庫を持たず、ご注文のたびに1枚ずつ出力します。


色
《太陽》では、中央の白い光から黄色、橙、青、緑へ広がる光条と、画面下部の青紫の岩や緑の草地まで、一枚の画面に収められています。
選ぶ
サイズと価格
| サイズ | 用紙寸法 | 価格(フレームなし・税込) |
|---|---|---|
| A5 | 148 × 210 mm | ¥1,900 |
| A4 | 210 × 297 mm | ¥2,400 |
| B4 | 257 × 364 mm | ¥2,800 |
| A3 | 297 × 420 mm | ¥3,800 |
| B3 | 364 × 515 mm | ¥4,200 |
| A2 | 420 × 594 mm | ¥4,800 |
| B2 | 515 × 728 mm | ¥5,800 |
| A1 | 594 × 841 mm | ¥6,800 |
| B1 | 728 × 1030 mm | ¥7,800 |
絵柄の縦横比は作品ごとに違うため、用紙のどこまで絵が入るかも作品×サイズごとに変わります。この作品の実寸と余白は、商品ページの「サイズ・価格表」でご確認いただけます。「余白あり」と「余白なし」を選べます。
選ぶ理由
同じ絵でも、どこで刷るかで変わります
- 用紙と印刷方式を公開しています(アート紙190g/m²・ジークレープリント)。
- A5からB1まで9サイズ、額装7種から選べます。壁に合わせて決められます。
- ご注文を受けてから1枚ずつ刷る受注生産です。刷ってから送ります。
- 原画の情報(制作年・所蔵先)を作品ごとに載せています。当社は各所蔵先と提携しておりません。プリントはパブリックドメインの図版をもとに当社が制作しています。
お届け
注文から届くまで
| 出荷まで(フレームなし) | 3営業日 |
|---|---|
| 出荷まで(額装込み) | 10営業日 |
| 配送料 | 11,000円以上のご注文は無料 |
| お届け先 | 日本国内 |
土日祝日・弊社休業日を除く営業日数です。繁忙期はお時間をいただく場合があります。 返品・交換の条件は返品ポリシー、事業者の表示は特定商取引法に基づく表記をご確認ください。
最後に、もう一度《太陽》を見てみてください。
1911年、大学創立100周年。
新しい講堂の壁を飾るはずだったムンクの作品は、そこに掛けられませんでした。
講堂は、装飾のないまま開館します。
それでもムンクは巨大な作品を描き続けました。
屋外にアトリエを建て、数百点の習作を残し、作品を一般に公開する。
人々の支持を得て、1914年に正式発注。
1916年、11点がようやく壁に掛けられました。
その中心にあるのが、《太陽》です。
そして100年以上経った現在も、
その太陽は、ムンクが掛けようとした同じ壁から講堂を照らしています。
¥1,900 から(A5・フレームなし・税込)
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エドヴァルド・ムンクの、ほかの一枚
出典
・オスロ大学「Edvard Munch og kunsten i Universitetets aula」
・オスロ大学「Kunsten i Universitetets aula」
・オスロ大学「Solen」
・ムンク美術館「Between us and the sun」
・ムンク美術館 作品目録《The Sun》関連資料
※ムンクの発言は上記機関が引用する資料に基づく当社訳。
※《太陽》を大学の「啓蒙」と結びつける説明は、オスロ大学による作品解釈として記載。
図版について:作品の図版(「もう一度、絵を見る」の全図・切り出し3点・最後の全図)は、当社が印刷に用いている原版からの切り出しで、加工も生成もしていません。ヒーローの額装イメージは、当社が販売する額装プリントの3Dモデルを描き出したものです(生成AIではありません)。ヒーロー背景、「高さ4.55メートル、幅7.8メートル。」の背景、講堂の図2点、屋外アトリエ、手紙の図は、当社が生成AIで作成した画像です。当時の記録写真ではありません。講堂の図2点に嵌め込まれた絵は《太陽》で、当社が印刷に用いている原版です。
当社は各所蔵先と提携しておりません。


