世界的に有名なゴッホの代表作「ひまわり」は実は7点存在し、そのうちの1点が日本・芦屋で焼失したと言われています。
なぜ日本で失われたのか、どの作品が焼失したのか、そして現在はどこで鑑賞できるのか──本記事で徹底解説します。
こんにちは!アートをもっと身近に、がコンセプトのショップ「artgraph.」店長のマツムラです。
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ゴッホのひまわりが日本で焼失した理由とは?

日本で焼失したとされる「芦屋のひまわり」は、大正時代に兵庫県の芦屋に住む実業家である山本顧彌太氏によって購入され、日本に運ばれてきました。
戦時中、作品の損失を危惧した山本氏は、大阪の銀行に「ひまわり」を預けようとしたものの、作品の保管設備が整っておらず、湿気等により作品が劣化する恐れがあったために、銀行側に受け取りを拒否されてしまいました。
結局、「ひまわり」は芦屋にある山本氏の邸宅で保管されることになり、1945年8月6日の芦屋の大空襲によって、灰と消えてしまいます。
ゴッホのひまわりが日本へ来た経緯
1910年代、日本では雑誌『白樺』を中心に西洋文化への理解が急速に進みました。
武者小路実篤や志賀直哉、柳宗悦ら白樺派の作家たちは、形式よりも“生の表現”としての芸術を重視し、その象徴としてフィンセント・ファン・ゴッホに強く惹かれていきます。
彼らが注目したのは、病や貧困に苦しみながらも、人間と自然への深いまなざしをもって描き続けたゴッホの姿勢でした。
志賀直哉はその作品に「人間の苦しみと美しさ」を見出し、柳宗悦は“普遍的な美”を感じ取ったといわれます。
こうした思想に共鳴したのが、実業家・山本顧彌太氏です。
彼は白樺派の理想を現実の形にすべく西洋美術の収集を始め、1920年、武者小路実篤の助言を受けてゴッホの《ひまわり》を購入。
この名画はのちに「芦屋のひまわり」と呼ばれる伝説の作品となりました。
ゴッホのひまわりの焼失は防げなかったのか?
ゴッホ ひまわり 日本 焼失の経緯を振り返ると、その悲劇は時代背景に大きく起因しています。
美術史家の中には「個人邸宅に飾られていたことが最大のリスクであった」と指摘する声もあります。
当時の日本の一般住宅には、防火設備や作品保護の体制が整っておらず、西洋美術の名作も「貴重な飾り」として扱われるにとどまっていました。
加えて、邸宅の柱に打ち付けて展示されてあったため、1945年の空襲の際、他の絵画のように持ち出すことができず、火災によって山本氏の邸宅もろとも焼失してしまったのです。
ゴッホのひまわり日本で焼失した作品の紹介
戦災で焼失してしまったゴッホの「ひまわり」は、ゴッホの「ひまわり」作品の2作目にあたり、「芦屋のひまわり」と呼ばれ、幻の作品として扱われています。
花瓶に5本の花が生けられた構図で、シリーズの中でもやや暗い印象を持つのが特徴です。
背景には深いロイヤルブルーが使われ、鮮やかな黄色の花々を力強く際立たせています。
ゴッホはこの色彩の衝突によって、花そのものの存在感を極限まで引き出そうとしました。
出典:WIKIMEDIA COMMONS
ゴッホは弟テオや親しい画家仲間に送った書簡の中で、「黄と青が生み出す劇的な視覚効果」に触れています。
これを踏まえると、《芦屋のひまわり》の配色は偶然ではなく、彼が追究した色彩の理想的な対比を意図したものであったことがわかります。
他の《ひまわり》作品と比較すると、この2作目には色彩構成に対する意欲的な実験性が際立っています。
深い青を背景に黄色の花を配した大胆なコントラストは、花の存在感を最大限に引き出す狙いが込められていたと考えられます。
1888年、ゴッホは南仏アルルに滞在中、「画家の理想郷」を実現する構想のもと、友人ポール・ゴーギャンを招いて共同生活を計画しました。
その住まいを整え、室内を彩る装飾として制作されたのが、《ひまわり》シリーズでした。
色彩理論の実践と生活空間の装飾性を兼ね備えた、まさに実験的作品といえるでしょう。
日本で焼失したゴッホのひまわりはどこで見れる?

かつて日本・芦屋で焼失した「芦屋のひまわりは」は、今では徳島県の大塚国際美術館で再びその姿を目にすることができます。
同館は世界の名画を陶板に焼き付けて再現することで知られ、失われた作品を現代に蘇らせることに成功しました。
原寸大で忠実に再現された「芦屋のひまわり」は、他の6点の「ひまわり」とともに展示され、観る者に深い感銘を与えます。
オリジナルは1945年の戦火で失われましたが、その存在は日本近代美術史の象徴であり、山本顧彌太や白樺派の理想を今に伝えています。
ゴッホが筆に託した情熱は、形を変えてなお生き続けているのです。
ゴッホひまわり日本での焼失まとめ

この記事では、「ゴッホ ひまわり 日本 焼失」に関して、その経緯や背景、そして現在の再現について紹介しました。
かつて日本の芦屋に存在した《ひまわり》は、実業家・山本顧彌太が西洋美術の普及を願って購入したもので、日本の美術史において非常に貴重な存在でした。
しかし、1945年の戦火によって焼失し、オリジナルは永遠に失われてしまいます。
それでも、徳島の大塚国際美術館が陶板技術で忠実に再現したことで、その姿は再び私たちの前に現れました。
焼失という悲劇の中にあっても、ゴッホの芸術が放つ「生命の輝き」と「希望の象徴」は今も息づいています。
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